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2011/12/25 第10回演奏会は終了しました。1,300名を超えるご来場、ありがとうございました。次回の演奏会は未定です。決まりしだい、お知らせいたします。

第三部 エピローグ

ここにこうして私達がいるということは、ここにいる私達全員がリレーの継走者にならざるを得ないということを示しているのだと思います。 ・・・・・バトンには「より深く考えること」と記してあります。 これは大変なことですけれども、大変なことに直面して生きるのが人生で、私達が生まれたということ自体やはり大変なことなのですから仕方がありません。 ・・・・・ここにこられた方々は、その大変ななかでのリレーの継走者にどうかなってもらいたいと思います。

- 埴谷雄高「精神のリレーについて」より

「祈り」としての、そして「リレー」としての演奏たらんことを!!

最後に一つのエピソードを紹介したい。 先年物故した日本の代表的な作曲家の一人、柴田南雄氏は自分の進路について方向性が見えなかった旧制高等学校一年生の時に聴いた、たった一回の演奏会が、結果的に彼が作曲の道に進むに至った幾つかの要因の最大のものであった、と著作の中で回想している。 その演奏会こそは、クラウス・プリングスハイム指揮、上野音楽学校(現東京芸大)管弦楽部の演奏する、マーラー第6交響曲の日本初演だったのである。 クラウス・プリングスハイムはナチスのユダヤ人迫害の被害を受けた悲運の名指揮者であり、ミュンヒェンの名家の出で双生児の妹カチャはドイツが生んだ近代最大の作家、トーマス・マンと結婚している、という所まではどうでもいい事なのだが、彼はまだ駆け出しとして、マーラーのもとで見習い指揮者として働いている時、幸運にもエッセンでのマーラー第6交響曲の世界初演(指揮は当然マーラー自身)に立ち会い、その時の彼のマーラーへの助言の幾つかは受け入れられ、現行のスコアにも反映されているのである。 彼は14年後(1920年)の回想の中で喜びをもってこの事を記し、最後にこの経験を「おこがましくも自分をマーラーの友人だと感じ、しかも事実マーラーから友人として扱ってもらえたこの二十二歳の若者の、それはなんとすばらしい体験だったことか!−それはあのときの深い幸福感とそれにつづくかぎりない感謝の念とともに意識にきざみこまれた体験−音楽家の道、芸術家の運命を生きるべくさだめられたひとりの人間の一生を豊かなものにしてくれるほどの永続的な影響を残した体験だった(酒田健一氏訳)」と熱く語っている。 その後、富裕な彼はベルリンでドイツ最初のマーラー音楽祭を自費で開催したりするなど、ドイツの指導的芸術家の一人として活躍したが、ユダヤ人でもあり、またベルリンの歌劇場の監督の座を巡る争いに敗れ去ったこともあり、追放同様にドイツを去る事を余儀なくされ、そして渡日する事となる。 当時の邦人楽団の技術的水準というのは全く御粗末なもので(この演奏会の4年前に録音された近衛秀麿指揮新交響楽団のマーラー第4交響曲のCDに耳を傾ければ残念ながら非常によくわかる)、柴田氏自身も「当時の日本の水準としてはまったく背のびぎりぎりの感じ」と書いている事から、上記回想が著された14年後(1934年)となる彼の指揮によるマーラー第6の日本初演の出来については、テクニカルな面でそれほど高度なものでなかった事は確実だが、そういった技術的に明瞭なハンデがあってなお、その日のマーラー第6の演奏が、マーラーの第6世界初演時の抜擢を生涯の喜びとし芸術家としての人生の起点とした一音楽家の渾身の指揮によって、一人の聡明な青年に人生を決定づけるだけの「何か」を伝えた事だけは否定しようのない事実なのである。

それはマーラーを第一走者とした「何か」を伝える精神のリレーとでもいうべきものといえるのではなかろうか。 その柴田氏が第6日本初演の丁度50年後(1984年。これも柴田氏が意図的に設定した節目の年だったのかもしれない)に書いた小冊子「グスタフ・マーラー」(岩波新書)を、筆者は何度読み返したことだろう。 この本は新潮文庫のカラー版作曲家列伝の「マーラー」が出るまでは最も手軽で入手し易いマーラー関連書であった。 現在では筆者にとって特に第7の扱いについてなど、到底納得出来ない箇所も多いが、激しいマーラーへの愛と共感に貫かれたこの本は、いまだ筆者に特別な郷愁を呼び起こしてくれる。

筆者がマーラー第6交響曲を演奏するのはこれが6回目となるが、これまで自分の拘った全てのマーラー第6の演奏会は、いずれも忘れ難い素晴らしいものであった。 理由は色々あるだろうが、第6という曲はテクニカルな難易度を除けば、我々アマチュアの琴線に他の曲以上に触れるものがあるからではないかと考えている。 つまり、アマチュアが全身全霊をあげて、(敢えて言えば無謀にも)マーラー第6という究極の難曲に挑む様は、マーラーが第6において、絶対に勝利を収め得ない運命に絶望的な闘争を挑んでいる様に、とても似通っているのではないだろうか。

また、これは殆ど演奏会の度毎に書いてきた事だが筆者は、プロアマ問わず、奏者一人一人が、真の信仰者が捧げる「祈り」と完全に同じ次元の精神、つまり真摯にして無私の精神、そしてその行為に全てを懸ける覚悟で演奏することが必須であるし、技術的な制約を除外するならば、そういった「祈り」の精神・覚悟をもってなされた演奏行為は、ある面においてそれ以上は深めようがない、一つの究極的な極点に達していると確信している。

甚だ不遜かもしれないが、本日の演奏が、マーラー−プリングスハイム−柴田南雄と連なる精神的なリレーの次の継走(奏?)者としてその一端を担えるような、即ちプリングスハイムによる日本初演の演奏会の如く、聴きにいらしたお客様の人生の中に、そして(欲張りですが)自分達の演奏体験の中に、忘れ難い「何か」―それはマーラーから受け継いだリレーのバトンであるのか、或いはわたくしどもの「祈り」によって顕現された或る極点であるのか―を刻み込めるようなものにする事が出来れば、奏者としてこれ以上の喜びと感激はない。 その極点に到達すべく、団員一同全力を傾注する覚悟である。

目次

高橋 広
純朴無比なアマチュアヴァイオリン奏者。 一部では子供の名前に楠強(グスタフ)とつけようと本気で考えていただの、日本で演奏されたアマオケによるマーラー交響曲第10番完成版の演奏会の全てに出演しているだのといった忌まわしい噂が流れているが、はっきり言って全て事実である。 最も熱愛する作曲家はブルックナーとマーラー(この二人にバルザック、ドストィエーフスキィ、トーマス・マンを加えた5人が自分にとって至高の存在)だが、バッハ、ベートーヴェン、コルンゴルト、シュレーカー、シベリウスといったオーソドックスな作曲家も愛しぬいている。 2008年オスフィルでのマーラー交響曲第6番が自身32回目のマーラー演奏となるが、マーラーのエイジ・シューター(年齢の数だけマーラーを演奏)にはあと一歩届かず、無念の日々を送っている。