新着情報

2011/12/25 第10回演奏会は終了しました。1,300名を超えるご来場、ありがとうございました。次回の演奏会は未定です。決まりしだい、お知らせいたします。

第二部 マーラーの交響曲の概観

マーラーはその全創作期を通じ、ひたすら生とは何か、死とは何か、神とは何か、自然とは何かを追及し続けた。 その過程でいくつかの変遷を経てはいるものの、その思索の切実さ、誠実さは変ることはなかった。 彼の捜索はほぼ交響曲と歌曲に絞られ、その両者は切っても切れない関係にあるが(第1交響曲とさすらう若人の歌、第6交響曲と亡き児らを偲ぶ歌など)、ここでは主に彼の交響曲を通して彼の歩んだ道のりを辿ってみたい。

第1交響曲

相次いだ三人の女性との実らぬ恋を創作のエネルギーに昇華させ、28歳の年に一気に完成させた第1交響曲はやや冗漫な構成ではあるものの、彼の出発点たるにふさわしい輝かしい作品である。 殆ど双生児のような歌曲「さすらう若人の歌」同様、世間の無理解や生活との苦闘に対する青年の悲しみや怒り、挑戦、そして自然への讃仰に満ちている。 冒頭の「自然音のように」という指定が象徴的な夜明けのような第一楽章、ユーモラスで力強い第二楽章、そして日本でもよく知られた民謡フレール・ジャックをそっくり短調に焼き直したメロディーが当時の聴衆の憤激を買ったグロテスクなユーモアと俗悪スレスレの甘ったるい旋律をあえて平然と用いた第三楽章、そして「嵐のように激動して」青年の怒りが炸裂、最後は圧倒的な勝利の咆哮となる終楽章からなっている。

第2交響曲

指揮者としてのマーラーを評価しつつも作曲家としての彼をまったく認めず、マーラーも敬意と憎悪の複雑な感情を抱いていた名指揮者(初代ベルリンフィル常任)ハンス・フォン・ビューロウの葬儀で終楽章のヒントをつかんだ第2交響曲「復活」(34歳で完成)は、彼の多くの作品を貫くテーマ「彼岸の世界での不滅の生」が結実した重要な作品。 第一楽章は当初交響詩「葬礼」として作曲されたもので、第1交響曲で苦闘の末勝利をつかんだ英雄の死がいきなり描かれる。 そして彼の生涯が意味あるものであったのかを問い、彼は死後どうなるのかが眼目となる。 それは正に彼が生涯をかけて追求したテーゼに他ならない。 優美な、しかし部分的にグロテスクな第二楽章、歌曲集「子供の魔法の角笛」に収められたユーモラスな彼の歌曲「魚に説教する聖アントニウス」のグロテスクなヴァリエーションたる第三楽章、同じ歌曲集からそのまま転用されたアルト独唱を伴う第四楽章「原光」(「我は神よりいでしもの、再び神のもとへと還らん」という歌詞が印象的である)が間奏曲的な位置を占める。 そして終楽章では、生々しい最後の審判の描写を経て、英雄の神のもとでの復活と永遠の生の獲得がクロップシュトックの復活賛歌に基づいて圧倒的に歌われるのである。 (ここまで見てきたように彼は自らを「英雄」に擬している。 自信に漲った青年にはままある話で、同世代のリヒャルト・シュトラウスも自らの前半生を描いた交響詩に「英雄の生涯」と名づけている。 ただ、彼が作品で自らを「英雄」に擬す、という点は本日の第10交響曲で非常に重大な意味を持つのでご記憶を願いたい)

第3交響曲

演奏時間が50分→80分と肥大化の一途を辿った彼の作品で最大の演奏時間の作品(100分)となったのが、ヴィーン宮廷歌劇場と契約を結ぶ前年の1896年(36歳)に作曲された第3交響曲である。 第2においては苦闘の末の死、そして神のもとでの復活が劇的に描かれたが、むしろこの曲ではその勝利と永世は当為のものとして扱われ、そういった苦闘のさまというよりはむしろ、自然、人生の全てを包含した全交響曲とでもいうべきものを作り上げてやろうという野心に満ちた作品となっている。 当時の恋人ミルデンブルクに彼は「(第3は)世界全体を映し出すような巨大な作品」と書いているし、アルプスの山を弟子のブルーノ・ヴァルターと歩いていたおり、自然の美しさを口にしたヴァルターに「君はこれらに感動する必要は無いよ! 何故ならこれらは僕がすべて第3交響曲に封じ込めたんだからね!」と叫んだというエピソードからも伺える。 当初は7つの楽章からなる作品を構想していたが、最終的には第七楽章「子供が私に語ること」は削除され、その楽章からさらに派生して3つの 楽章が作られ第4交響曲が生まれることとなる。 各楽章の標題は変遷があるものの最終的には、1「牧神が目覚める。夏が近づいてくる」、2「野の花が私に語ること」、3「森の動物たちが私に語ること」、4「人間が私に語ること」、5「天使たちが私に語ること」、6「愛が私に語ること」となっている。 超絶的に長い第一楽章も力作で、精妙で神秘的な第二楽章や技法の限りを尽くした斬新で芳醇な第三楽章も見事だが、なんと言っても巨大な螺旋をじわじわと登っていくかのような深々とした息の長い巨大なスケールの終楽章の感動は比類がない。 因みに翌1897年、彼はユダヤ教徒では彼が望んだ世界楽壇の頂点たる、ヴィーン宮廷歌劇場の指揮者としての地位を得られない事を悟り、カソリックに改宗、その甲斐あって指揮者として望みうる最高の地位の獲得に成功する。

第4交響曲

その3年後の1900年の夏、40歳のマーラーが完成させた第4交響曲は一転して極度に編成を絞った、演奏時間も第3の半分の作品である。 外面的には愛くるしい第一楽章、フィドル(古い型のヴァイオリン)を奏でる死神を表す一音高く調弦したソロヴァイオリンがユーモラスな第二楽章、悠然とした美しさの第三楽章、天国での子供の喜びに満ちた生活をソプラノのソロが歌う終楽章とどれも深刻な内容の作品の多いマーラーにしては例外的に親しみやすい条件を備え世間的な人気も高いが、内容的には決して一筋縄でいく作品ではない。 冒頭は愛らしく鳴らされる子供の鈴は第一楽章後半で極めて騒々しく打ち鳴らされ、幼くして死を意識せざるを得ない立場におかれた子供の焦燥感や恐怖を感じさせる(これは14人もいたマーラーの兄弟たちのうち半分が幼くして死に絶えた事が影を落としていよう)し、一見ユーモラスな死神のフィドル弾きも子供に忍び寄る「死」の影を明白に暗示している。 また本来この曲には第二楽章として「浮世の生活」という歌曲が組み込まれる筈だったが(結局この曲は先述の歌曲集「少年の魔法の角笛」―彼の第2から第4交響曲までとは密接にかかわりがある―に収められた)、これは飢えた少年が母親にパンを求め続け、都度母は今小麦を刈り取っている、今パンを焼いている、と答えるが、結局パンが焼きあがった時、子供は餓死していた、という残酷な、しかしつい最近までは貧しい階層の人々の間ではまま現実にあったような物語である。 この楽章は削除されたとはいえ、全曲の構成には深い意味を与えている。 そしてこの「浮世の生活」は第10交響曲にも密接に関係しているので、どうかご記憶を願いたい。 素晴らしく美しい第三楽章の頂点で打楽器を総動員した盛大なクライマックスが築かれるが、これは恐らくリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化」やマーラーの最高傑作たる第9終楽章の頂点同様、作品の中の抽象的な意味での主人公がそこを境に―ここではマーラーが自らを仮託した子供が餓死したために―死の世界へと足を踏み入れたことを暗示している。 そして終楽章で歌われる可憐な「子供が私に語ること」は、死んでいった子供が、幸い入ることの出来た天上において語った言葉なのであろう。 それが証拠にこの子供は楽章の中で12回も飲食物について言及しているのだ!  食べ物の事で何の憂いもなく死んでいった子供であるならば天上でかくも執拗に食物の事を繰り返し語るものではあるまい。 また、その子供(マーラー)は何の為に(何の罪で)死んだのかという点であるが、これはヴィーン宮廷歌劇場の監督の座を得る為に、ユダヤ教からカソリックに改宗することによって自らのユダヤ教徒としてのルーツを抹殺してしまったことへの自責の念のゆえではないかと思われる。 愛らしい表の顔を持つ第4は、マーラーが仮託した少年を一種生贄として抹殺(ルーツとしての信仰を捨て去った代償に)するプロセスを描いた深刻な作品であったのだ。

第5交響曲

ヴィーンで赫々たる名声を獲得した彼がヴィーン社交界の名華、アルマ・シントラーと出会い、僅か一月で婚約するに至った年の翌年、1902年にマーラーは第5交響曲を完成させた。 ここからの3作、第5、第6、第7は声楽を伴わないため、中期三部作として扱われる事が多いが、むしろ前期の第2から第4と中期の第6から第8までをつなぐ転換点という位置づけの方が適切であろう。 主題としては第4交響曲に既に現れていたものが使用される一方、構成としては彼の純器楽曲としての一つの頂点たる第7交響曲に類似したものとなっている。 内容的には粛然たる葬送行進曲で幕を開け、輝かしい勝利のファンファーレで終わる点をみれば、正にベートーヴェン的な「暗黒との闘争から勝利の光へ」テーゼ―彼が基本的には追及し続けた点―に忠実なようでいて、非常に外面的な印象を抱かされる。彼はこの交響曲で、声楽を伴わない純器楽のみでどこまでソナタ形式をベースにした交響曲という形式を解体しつつ発展させられるか、という実験に挑んでいるのではなかろうか。 とはいえ、非常に斬新で大胆な第三楽章、アルマへの音による恋文として知られる第四楽章アダージェットなど聴きどころの多い作品である。

第6交響曲

1904年の夏に44歳のマーラーが完成させた第6交響曲「悲劇的」は第5とは打って変わって深刻、絶望的な作品となっている。 彼の作品の中では例外的に殆ど何の救いもなく終わるが、彼を取り巻く環境としても、外面的には成功の絶頂ではあるものの(ヴィーン宮廷歌劇場での圧倒的な名声、ヴィーンで一番の才能と美貌の才女を妻にもち、二人の子宝にも恵まれた)、実際には苛烈なマーラーのやり方へのすさまじい反発が反ユダヤ運動の機運に乗じて高まり、家庭的にもアルマとのすれ違いもあり、内面的な緊張の高まりが作品に噴出したものと考えられる。 実際彼の運命観とでもいうべきものを残酷なまでに生々しく表した傑作であり、彼の「運命」交響曲とでもいいうる作品である。 軍隊調の死の行進の第一楽章、トリッキーな嘲笑とでもいうべき第二楽章、ぞっとするほど美しく悲しい第三楽章、そして運命との壮絶な争闘と絶対的な敗北を巨大なスケールで描いた終楽章からなっている。 ただ第5の勝利が作りものめいているのと同様、第6のラストの圧倒的な完膚なきまでの敗北も、些か作為めいているように(個人的には)思われるが、それは彼が心の底では自らの敗北を信じていなかったからなのだろうか。

第7交響曲

第6完成の翌年夏、マーラーは第7交響曲「夜の歌」を完成させるが(45歳)、この第7においてマーラーは、指揮者としての仕事や家庭での遠からぬ破局を避けられぬものとして意識したためか、勝利や永遠の生の獲得といった理念に対し、かなり懐疑的になってきたように感じられる。 上述のように、構成的には第5に近く全五楽章からなっている。 壮絶な敗北の音楽たる第6の終楽章の影を引きずった暗鬱な第一楽章のラストでは漆黒の翼を打ち広げた死の猛威が強烈に描かれる。 夜曲と名づけられた第二楽章は非常にパロディックな楽章、「影のように」という指示のある第三楽章はマーラーの全作品の中で技法的に最も先鋭な作品であり、その実験や色彩は後代の作曲家群に比しても遜色のない現代性をもっている。 第二夜曲と名づけられた第四楽章は美しさと死の恐怖を併せもった音楽だが、彼方の世界へと足を踏み入れるような神秘的なラストには、マーラーの思い入れが最もこもった「ersterbend 死んでいくように」という指示があり(この指示は彼の最高傑作、第9交響曲のラストでも登場している)、第4の第三楽章クライマックスのように彼がここで彼岸の世界、死の世界に足を踏み入れたことを暗示している。 終楽章のそれまでの暗さとは打って変わった底抜けに明るい勝利の讃歌(ヴァーグナーのマイスタージンガーやブルックナーの第5交響曲フィナーレのコラールに酷似している)が奏でられるが、途中何度も死の不安や恐怖に遮られ、最後は力づくで本物ではない勝利を自分に強要するかのように終わる。 生と死の戦いは弁証法的に止揚されるのではなく、まったく非論理的に唐突に絶対的な勝利が謳われるのである。 それは最早死後の永世を理念として奉じられなくなりつつあった彼の無惨な心境を如実に表している。 ただ第5の勝利がやや他人事めいてそらぞらしく感じられるのに対し、第7の勝利は同じ作りものであっても、それが本物の勝利であって欲しいと心から願っているのに、実際は本物ではないとほぼわかってしまっている、しかしそれでも本物であるかのように必死に振舞わざるを得ない切実さが感じられて胸をうつ。 因みに第7は技法上の斬新さの点のみならず、演奏の難易度の点でも彼の作品の頂点といえるものである。

第8交響曲

更に第7の翌年である1906年夏(46歳)に作曲された第8交響曲は、既に見てきたように彼が交響曲を作曲した当初から抱いていた生と死への観念、永遠の生に対して確信を失いつつも、最後の力を振り絞り、それまでの彼の理念の総決算、集大成を試みた畢生の傑作である。 彼は手紙で「(第8は)内容の点でも形式の点でも独特なものであって、言葉でそれを表現するのは不可能です。 宇宙が鳴り響き始める様を想像してごらんなさい。 これは最早人間の音楽ではなく、天球が運行する音楽(西洋では古来から天の星が運行する時、妙なる音を発するというイメージがある)なのです」、 また「これまでの私の作品は、すべて第8のための序曲にすぎなかったのです。 これまでの作品は主観的な悲劇を扱っていましたが、第8は偉大な歓喜の施主となるでしょう」と述べているが、それは決して彼のはったりではないのである。 それまでの彼の作品は多かれ少なかれ、必ず肯定的概念と否定的概念の激烈な闘争が眼目となっていたが、この交響曲のみは、第7での遮二無二勝利を強要するような態度をさらに推し進め、唯一彼の肯定的理念があくまでも理念として描かれており(それが証拠に第7のラストのフレーズが殆どそのまま第8冒頭のフレーズになっている)、彼の作品でまったく例外的な全肯定交響曲ともいえる内容となっている。 逆に第5から第7までの純器楽交響曲で鍛え上げた作曲技法も円熟の境地に至り、声楽の導入も第2「復活」や第3のように中途半端に数分のみの登場というのでなく、全曲にわたり管弦楽と渾然一体となり縦横に活躍し、その声と器楽の融合という点では最も彼らしい作品でもある。 すなわちこの第8は最も彼らしいと同時に、最も彼らしからぬ点も併せ持った異形の作品なのである。 曲は巨大な二部から成り、第一部は9世紀の司教マウルスの書いた讃歌を、そして第二部はドイツ文学、ドイツ精神の一つの極点たるゲーテの「ファウスト」の最終場面の詩を用いている。 「ファウスト」の詩を用いたことは、彼が「この曲をドイツ国民に捧げる」と記したことに照応するが、反面、常にアウトサイダー、あるいは二つの世界(19世紀と20世紀、貧しいユダヤ人とハプスブルクの上流階級、ヨーロッパと非ヨーロッパ、神を信じるものと不信者)の狭間で引き裂かれるものとして存在し続け、その立場から作曲を続けた彼のアイデンティティーと相容れないといえば相容れない態度ではある。 ただ、まったく出自も語っている内容も違う二つのテクストを音楽的に緊密に結びつけ、永遠の生の理念を絶対的に謳いあげたこの作品はまさしく傑作の名に恥じないものである。 特に第二部での栄光の聖母降臨のシーン、そして「永遠の女性、我らを引いて高みに昇らしむ」という余りにも有名な最後のフレーズの辺りは聴いていても弾いていても法悦としか言いようのない気持ちにさせられる。 この曲は死の前年に彼の指揮で初演され、「圧倒的」という言葉がそらぞらしくなるような凄まじい成功を収めたが、その初演には、バイエルン皇太子、ベルギー国王、クレマンソー、ヘンリー・フォード、トーマス・マン、ツヴァイク、後にハリウッドに渡る演出家のラインハルト、シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウスなど各界の錚々たる著名人たちが一同に会した、音楽史上最高最大の「事件」であった。

大地の歌

第8作曲の翌年1907年、彼の予感通り、彼の境遇はあらゆる面で一気に暗転する。 夏に娘が夭折し、自身も心臓病で余命いくばくもないと診断され、更に10月にはヴィーン宮廷歌劇場指揮者職の辞任に追い込まれ当時まだオペラ新興の地であったニューヨークのメトロポリタン歌劇場と契約を結びかろうじてメンツを保ったような体たらくであった。 彼は実人生の余りの暗転ぶりにいよいよ彼岸における永遠の生への確信をうしなっていった。 そんな折も折、友人から受け取ったベートゲがドイツ語に意訳した漢詩集「中国の笛」を読んだ彼はその厭世的な内容に烈しく共感し感動した。 そしてその年から翌年(48歳)にかけ、その漢詩集から詩をとった、6つの歌曲からなる巨大な歌曲集とも言える交響曲「大地の歌」を作曲した。 これは彼の9番目の交響曲であったが、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナーという彼が最も尊敬する19世紀ドイツの最も偉大な作曲家たちが全て交響曲を第9まで作曲してから死んでいる事、そして自分は彼らを継ぐドイツ交響曲の正統後継者であることを強く自認していた事から、彼は9番目の交響曲に「第9」と名づける事を極度に恐れ、9番目の交響曲にはあえて番号をつけなかったのである。 6つの楽章はテノールとアルトによって交互に歌われ、それぞれ「大地の悲愁を詠う酒宴の歌」、「秋に寂しきもの」、「青春について」、・「美について」、「春に酔えるもの」、「告別」と名付けられている。 前半二楽章は強烈に厭世的な虚無感を歌い(特に第一楽章は千尋の谷際で舞を舞うかのような壮絶さがある)、中盤の三つの楽章は逆説的に陽気な内容を歌うがその底流にはどうしようもない寂寞感と死の諧調が鳴り響いている。 そして全曲の半分を占める長大な終楽章「告別」では第8のあとに彼が辿りつかざるを得なかった悲劇的な境地が切々と語られる。 主人公は友と別れの杯を交わす。 友は彼が何故去らねばならぬのか尋ねるが、彼はこの世(世間)で恵まれなかったため、孤独な心の安息の地を求め、二度とは帰らぬ旅に出る事を友に告げる。 そして自分は最早帰っては来ないが、春になれば地には花咲き緑が萌えるのだ。 自分など初めから存在しなかったかのように、永遠に・・・。 厭世的とはいっても彼は決してこの世を憎んでいるわけでも、望んでこの世から去ろうとしているのではない。 彼は夢破れ傷ついてなお、いやそれであればこそ一層この世の美しさ、素晴らしさを悟りそれを心から愛したく欲している。 しかし彼はこの世から去っていかねばならないのだ。

第9交響曲

「大地の歌」作曲の翌年から彼は10番目の交響曲、第9交響曲を作曲し始め、翌1910年4月1日(49歳8ヶ月)、珍しくもニューヨークで完成をさせる(珍しくも、というのは第3から「大地の歌」までの7曲は全て夏の休暇に完成しているので)。 第9交響曲こそは彼が歩んできた道のりを完成させるにふさわしい最高傑作であり、ヴェスリンクはバッハの「マタイ受難曲」、モォツァルトの「魔笛」、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、そしてマーラーの第9を西洋音楽の4つの頂点としているが、この第9こそが西洋音楽の歴史の頂点に位置するといっても過言ではないほどの究極的な作品である。 彼の弟子のシェーンベルクは「(マーラーの)第9交響曲は一つの限界なのです。それを越えようとするものは死ぬしかないのです」と記している。 「大地の歌」では彼が第8以後にたどり着いた心境が言葉(歌詞)をもって歌われたが、この第9では再び純器楽の編成に還り、そしてそれだからこそ一層抽象的に、純粋に彼の想いが痛切に謳われるのである。 崩壊寸前でありながらソナタ形式の極致ともいえる複雑さをもつ、生と死との闘いを極限まで生々しく描いた第一楽章、3つの舞曲が交叉しいつしか狂気の輪舞となる第二楽章、彼の人生を象徴するかのような「きわめて反抗的に」という指示のある第三楽章、いずれも彼の作品の中で最高のものといって差し支えないものであるが、終楽章アダーヂォこそはそれらをも遥かに超える至高の傑作である。 ここでは荘厳な感動をもって生への烈しい執着とそれでも別れねばならない苦悩と未練が歌われる。 総譜の最終頁(アダージシモ―極限まで遅いアダージォ―という指示がある)では彼は既にこの世の人ではないのかも知れぬ。 しかし彼の精神は常に現世を志向している。 そしてここに於て彼は50年近くかけて考え到達した全てを凝縮して言おうとしているのだ。 私にとってこの世とは、人生とは何だったのか。 決して声高にはならぬ。然れども声高にそれを述べた時とは較べものにならぬ程切々と彼は訴える。 其処には寸毫のゆとりもなく、その時迸る涙を彼は決してとめることさえ出来なかったろう。 そう、私にとって現世とはかくも美しく素晴らしいものであった。 かけがえもなく尊いものであった。が自分は死んでいく。 死にたくはない。 しかし死んでいくのだ…。 絶望的憧憬の中、最後の最後まで未練を残し、躊躇いの裡に曲は凄まじい緊張感を伴った、奏者にも聴者にも万感の想いを喚起せずにはおらぬ永遠の沈黙の中にいつ果てるともなく消えていく。 このあらゆる想いのこもった最後の沈黙こそ、マーラーの全創作の中でも、最も偉大な創造物であるといえるのかも知れない。

第10の作曲を始めるまでの彼の交響曲作曲の軌跡はかくのごときものであった。

第三部 第10交響曲完成までの経緯

目次

高橋 広
純朴無比なアマチュアヴァイオリン奏者。 一部では子供の名前に楠強(グスタフ)とつけようと本気で考えていただの、日本で演奏されたアマオケによるマーラー交響曲第10番完成版の演奏会の全てに出演しているだのといった忌まわしい噂が流れているが、はっきり言って全て事実である。 最も熱愛する作曲家はブルックナーとマーラー(この二人にバルザック、ドストィエーフスキィ、トーマス・マンを加えた5人が自分にとって至高の存在)だが、バッハ、ベートーヴェン、コルンゴルト、シュレーカー、シベリウスといったオーソドックスな作曲家も愛しぬいている。 2008年オスフィルでのマーラー交響曲第6番が自身32回目のマーラー演奏となるが、マーラーのエイジ・シューター(年齢の数だけマーラーを演奏)にはあと一歩届かず、無念の日々を送っている。