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2011/12/25 第10回演奏会は終了しました。1,300名を超えるご来場、ありがとうございました。次回の演奏会は未定です。決まりしだい、お知らせいたします。

「音楽はライヴが面白い ♯6」

かつて関西の聴衆にとって7月9日は「朝比奈隆のバースデー・コンサート」を聴く日であった。 この日は朝比奈の十八番のブルックナーやベートーベン、チャイコフスキイを年替りで聴ける一大イヴェントだった。 朝比奈が逝去して久しいが、今年は「朝比奈隆生誕百周年記念演奏会」としてこのイヴェントが復活した(2008年7月9日。シンフォニーホール)。 演奏するのはもちろん、朝比奈が育てた大阪フィルと、後継者の大植英次である。 曲目は、生前朝比奈が高く評価していた伊藤恵を招いてのモーツァルトのピアノ協奏曲、そして、朝比奈が大阪で最後に演奏した(そして、悔いの残る演奏だったに違いない)ブルックナーの9番。 ほかに考えようが無いプログラミングである。

はたしてモーツァルトは、楽想が現れるたびに新しい生命の息吹が噴出するような名演だった。 音楽の喜びが氾濫していたのだ。 この1曲を聴けただけでもこの日の演奏会に来た価値があるとさえ言える。 前半でこのような満足のいく演奏ができたからであろうか、後半のブルックナーでは思い切った大胆な演奏をやってのけた。

9番はブルックナー作品の中でも難曲中の難曲だ。 ブルックナーの頭の中で渦巻いていた破格の音楽が、楽譜に記載できるレヴェルを超えてしまっているのだ。 ブルックナーが楽譜に書き付けたそれぞれの楽想は、それぞれ個別にふさわしいテンポを持っている。 しかし、100人に近い楽員がそうした異なるテンポを正確に共有するのは至難の業だ。 このような難曲にもかかわらず、大植は敢えて棒の動きを最小限に抑えた。 つまり、オーケストラの自発性に任せたのだ。

僕は、大植が朝比奈時代以来の大フィルの魅力をよく継承していると思うが、中でも最もその良さを生かしているのは「大フィルの自発性」だと感じる。 朝比奈が自他共に認める「棒がわかりにくい指揮者」だったおかげで、大フィルは指揮者に頼りきりにならずに自ら音楽を作るようになった。 結果として大フィルは、オーケストラ自身が生命を宿したかのような類稀な魅力を得たのである。 大植はこうした大フィルの「自ら音楽を作る」能力に賭けているように思われる。 ここ最近、音楽が最も盛り上がる箇所に入ると大植が両腕を完全に下ろして一切動くのをやめる、という光景をよく見る。 大フィルの場合は、指揮者がしゃかりきになって煽り立てるよりも、すべてをオーケストラに任せて思う存分暴れてもらった方がスケール大きな音楽になる、という大植の判断があるのだろう。 そして、難曲ブルックナー9番においても、大植は要所要所で棒を完全に止めてオーケストラにすべてを任せた。 中でも印象的だった2箇所を紹介したい。

まずは、初めてこの曲を聴く人が例外無しに度肝を抜かれるスケルツォの同音連打だ。 オーケストラが巨大な打楽器と化してリズムだけの音楽を執拗に打ち続ける破格な音楽。 この箇所で大植は、拍子をカウントすることを一切やめ、指揮台上でゆったりと腕を回すのみ。 遅れて連打に加わる金管にキューを出すことすらしない。 テンポのキープは100名近い楽員の集中力だけに任された。 結果として、この同音連打に楽員全員の気持ちが結集して巨大な一つの塊となり、鬼気迫る勢いで推進したのだ。 いや、楽員だけの思いではない。 会場に居合わせた聴衆たち、さらには音楽の歴史を作ってきた先人たち、そうしたあらゆる人々の思いが凝集して、巨大な精神の塔が聳え立ったようにすら感じられた。 この曲を未完成の終楽章を復原せずに演奏する場合だと(今夜もそうであったが)、シンメトリカルな3楽章形式の中央でスケルツォが異様な存在感を放つことになる。 悠然とした両端楽章に対し、怒涛のようにリズムが次々と襲ってくるスケルツォは尋常でない密度の高さを感じさせるからだ。 ベルイマン監督の映画『サラバンド』はこの印象を巧みに利用している。 これはある家族の心情のすれ違いを冷酷なまでに淡々と描いた作品だが、映画のちょうど中心部分で主人公がブルックナー9番のスケルツォをレコードで聴くシーンがある。 一つ屋根の下に家族たちの様々な思いが充満していることを、このスケルツォの密度の高さが象徴的しているのだ。 この日、大フィルが演奏したスケルツォも、人々の思いが凝集する核としての役割を雄弁に果たしていた。

もう一つは有名な第3楽章の「練習番号L」だ。 宇野功芳が「ブルックナーが書いた最も美しいオーケストレイション」と評した弦楽器のみによる下降コラールであり、指揮者やオーケストラの個性が如実に表れる箇所である。 大植はこの箇所に入る直前で譜面台の上に指揮棒を置いて素手になると(暗譜で振る大植には譜面台は必要ない。 なのにこの日は譜面台があった。その理由は後述する)、「楽員の皆さん、どうぞ来てください」と言うかのように両腕を広げて完全に動きを止めたのだ。 戦慄を覚えるほどの緊張感を孕んだ沈黙の後、まるで搾り出された音のエキスのような、比類の無い美しい響きが出て来た! 

テンポが激しく変転する第3楽章後半ではさすがに破綻も見られたが、緊張感が失われることは無い。 最後のホルンの音が空間に消えると、永遠に続くかと思われるような静寂の中、大植は譜面台の上に置かれていた朝比奈の遺影に感謝の思いを注入するかのように掌を置いた。 そして、ようやく拍手が起こると、大植は片手に朝比奈の遺影を、もう片手にコンサートマスターのパート譜を持って(大植は暗譜で指揮するので、譜面台の上には朝比奈の遺影が置いてあっただけでスコアは置かれていない)聴衆に示し、作曲者と前任者の双方への拍手を求めた。 このように、前任者朝比奈隆への感謝の念にあふれた演奏会であったが、決して「古き良き時代を追慕する懐古趣味的な演奏会」の類ではなかったことは強調しておきたい。 そもそも大植は朝比奈と直接の接点が無いし、コンサートマスターの長原幸太も朝比奈逝去後に入団した新しい世代の人だ。 そして何より、会場には恐らく生前の朝比奈を知らないであろう中高生たちが大勢いたのだ。 つまりこの日の演奏会は、朝比奈隆が作り上げた偉大な音楽文化を、朝比奈を知らない世代へとリレーする象徴的な場であったと言えるのだ。

僕もかつて演奏会場で、前の世代から音楽のバトンを渡されたと感じたことがある。 それは大フィル創立50周年記念と銘打たれた第307回定期だ(1997年4月26日・フェスティヴァルホール)。 朝比奈隆が指揮する『アルプス交響曲』。 壮大な演奏で、山頂の場面では眼下に広大な風景が見えるように思われた。 しかし僕はそこで、一面の焼け野原が広がる敗戦直後の大阪の街を連想してしまったのだ。 敗戦後間もない1947年、朝比奈と創立したばかりの関西響(大フィルの前身)が演奏する『新世界』が、人々を大いに勇気づけたと言う。 僕はアルプス交響曲を聴きながら、音楽の力で戦争の傷を癒した世代から、音楽のバトンを受け継いだような思いに駆られた。 僕が今、足繁く音楽会場に足を運んでいる原動力の一つに、音楽文化を「引き継いだ」実感を得たというこの感動と誇りがあることは疑いない。

2008年7月9日にシンフォニーホールに居合わせた若者たちの中にも、1997年4月26日にフェスティヴァルホールにいたときの僕と同じように、音楽文化を引き継いだと実感じた人たちがいるに違いない。 このようして音楽文化は滅びることなく受け継がれていく。 どんなに為政者が文化に対して無理解であろうと、僕たちは自分の手で文化の灯火を守り、継承していく。

遠藤 啓輔
1973年、愛知県生まれ。 現在、奈良市在住。 オストメール・フィルハーモニカー管弦楽団、京都フィロムジカ管弦楽団トランペット奏者として活動する一方で、全国のコンサート会場に聴衆として出没する。 熱愛する作曲家はブルックナーとシベリウス。 自慢は、ブルックナー、シベリウス、マーラー、ショスタコーヴィチのすべての交響曲をライヴで聴いたこと。他の作曲家については言わずもがな。